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岐阜地方裁判所高山支部 昭和57年(ワ)9号 判決 1984年4月13日

原告 株式会社 ひだエコーホテル

右代表者代表取締役 井ノ下英雄

右訴訟代理人弁護士 杉山幸平

被告 日本生命保険相互会社

右代表者代表取締役 弘世現

右訴訟代理人弁護士 三宅一夫

竹内隆夫

坂本秀文

杉山義丈

山下孝之

長谷川宅司

主文

一  被告は原告に対し、金三二四万〇、八七五円及びこれに対する昭和五七年三月一七日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は右一項に限り仮りに執行することができる。

事実

(甲)主張

(原告)

一  被告は原告に対し、金四八〇万三、六二八円及びこれに対する昭和五七年三月一七日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決、並びに仮執行の宣言。

(被告)

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

(乙)主張

(原告の請求原因)

第一  原告会社はホテル業等を目的とする株式会社であり、被告は生命保険業等を目的とする相互保険会社である。

第二  一 (一) 原告会社は昭和五三年一〇月ごろより同年一二月までの間、被告会社岐阜支社高山南支部(以下、被告高山南支部という)の外務員横谷富貴子から被告会社が募集している従業員の退職金を支給する企業年金保険契約に加入するよう勧誘を受け数回にわたりその説明を受けた。

右説明の際、右横谷富貴子は右企業年金保険は従業員の退職金を支払う制度であることを説明するとともに、退職金が支払われる場合は従業員が定年退職する場合にかぎらず、勤続三年以上の者が定年に達しないで中途で退職する場合でも所定の退職金が支払われると説明し、また原告会社が当時加入していた中小企業退職金事業団の退職金共済より有利であるとも言った。

(二) 原告会社は右横谷富貴子の説明を受け入れ被告会社の行う右保険に加入することを申込み、昭和五三年一二月二四日ごろ第一回の月額保険料を被告会社に支払い、原告会社と被告会社との間で従業員退職金支払いのための企業年金保険契約(以下、本件保険契約という)が成立した。

これに伴い、そのころ原告会社は当時中小企業退職金事業団の退職金共済に加入しており、それは定年に達しない中途退職者の場合でも退職金が支給されるものであったのであるが、右中小企業退職金事業団の退職金共済(以下、訴外共済契約という)を解約した。

(三) ところで、原告会社は被告会社に対し昭和五四年一月分より昭和五五年一月分まで月額保険料合計金二八四万三、六二八円を支払ったところ、同年同月二〇日原告会社従業員中二名が定年に達しないで中途で退職したので原告会社は被告会社に対し所定の退職金の支払を請求し、被告高山南支部は原告会社の右請求書を一旦は受付けたところ、その後被告会社との企業年金保険契約においては勤続三年以上で定年に達しない中途退職者の場合は退職金は支給されないと説明し、原告会社は唖然とした次第である。

二 (一) 原告会社は常時二〇数名の従業員を雇用しホテル業を営んでおり、従業員は二〇歳代の若年者が多数であって勤続年数も三年ないし五年であり、定着率は他の業種にくらべ非常に悪い。これはホテル業の特殊性から従業員は他所の経験も積んで成長するものであり、職場を変えることは通常と異りマイナス要因とならない場合が多く、かえって重用される傾向にあるからである。このように原告会社においては満五五歳の定年で退職する場合は殆んどなく定年に達しないで中途退職する場合が殆んどである。尚、昭和五四年に定年退職した蒲修は退職時支配人の地位にあった者で管理者であり特殊な場合である。

従って、原告会社が従業員の退職金の支給を考えるとき、それは常に中途退職者に対する支給が関心事であって、定年退職者への支給などは全く附随的な事柄である。つまり、原告会社にとって定年退職時のみ支給される退職金などは原告会社のニーズに合わないメリットが極めて少ないものであり、中途退職者に支給されないものに原告会社としては加入する筈がないものである。

本件保険契約に至る交渉の際、原告会社は当然のことながら何回となく前記横谷富貴子らに対し念を押しているのである。

(二) 本件保険契約については中途脱退特約が付せられる場合があるところ、この特約をつけない場合契約者である企業に支払われるものは積立保険料から必要積立額を差引いた金額であるが、これは中途退職者が出た時に必要的に支払われるものでもなく、金額も全く異る異質のものであり、原告会社の中途退職者への退職金支給の必要性を満すものではない。

然るに、右横谷富貴子は右特約をつけなくてもつけた場合と同じような額が支給されると説明した。

しかも、同人は中途退職者の場合は右特約をつけた場合は本人へ、特約をつけない場合は企業へ支払われると説明している。これでは説明を受ける側は中途脱退特約の有無は単に退職金が被保険者本人に直接渡るか、それとも企業に渡るか丈の違いになってしまうのである。事実、原告会社はそのように理解した。然し、中途脱退特約は中途退職者にも退職金を支給するための特約で、この特約をつけなければ中途退職者には支給されないのである。

その上、右横谷富貴子や被告高山南支部の支部長佐治史幸は企業に迷惑や損害を与えて退職して行く者もあることだから中途脱退特約をつけないで会社に直接支払われた方がよいと説明している。然し、これは本末顛倒の説明であって、要は従業員に直接であろうが会社であろうが中途退職者に確実に退職金を支給することが本質であるのに、その支給先を先行させて説明している。原告会社としては支給先よりも中途退職の従業員に決った定額を確実に支給することが最大の関心事であった。

第三  一 以上の次第で、結局被告会社の外務員横谷富貴子は被告会社の企業年金保険契約の内容を誤解した過失に基いて勤続三年以上で定年に達しない中途退職者の場合でも退職金が支払われる旨不実の説明をし、原告会社代表者井ノ下英雄は右説明を当然のことながら信用し錯誤に基いて被告会社に対し保険契約の申込をしたのであって、原告会社としては中途退職者に退職金が支払われない契約内容であるならば、当時加入していた訴外共済契約を解約して被告会社との本件保険契約を締結するようなことはしなかったものであるから、原告会社と被告会社との本件保険契約は無効である。

よって被告会社は原告会社が昭和五四年一月分より昭和五五年一月分まで支払った月額保険料合計金二八四万三、六二八円を不当利得として原告会社に返還すべき義務がある。

二 原告会社は被告会社と本件保険契約を締結した後、その当時加入していた訴外共済契約を解約した。尚、この共済契約は掛金月額とその納付月数により支給されるもので、定年退職中途退職の区別なく支給される制度である。この解約により原告会社においては中途退職者に対し退職金を支給することができなくなった。

原告会社は被告会社と契約後、昭和五四年一月原告会社の従業員に対し今度被告会社の退職金に関する保険に加入し、勤続三年以上で退職した場合は所定の退職金を支給し、その額は被告会社から説明を受けた表に記載された額を支払う旨説明し、従業員はこれを了解した。

これにより原告会社はつぎの五名の中途退職者に対し退職金を支払わなければならない立場になったので、原告会社は右支払うべき退職金と同額の損害を受けた。

(1) 山本已岐夫    金四五万円。

昭和四九年四月三〇日入社、昭和五五年一月二〇日退社。

(2) 渡辺忠栄     金五六万円。

昭和四八年一一月一日入社、昭和五五年一月二〇日退社。

(3) 田口ソヨ     金二五万円。

昭和五二年四月二日入社、昭和五五年四月二〇日退社。

(4) 牛丸勇美     金二五万円。

昭和五二年五月一日入社、昭和五五年一〇月三一日退社。

(5) 川尻利子     金四五万円

昭和五〇年六月二一日入社、昭和五六年三月二〇日退社。

よって、被告会社は原告会社に対し、民法第七一五条ないし保険募集の取締に関する法律第一一条第一項に基き、右合計金一九六万円の損害を賠償する義務がある。

第四  以上のとおり原告会社は被告会社に対し、前項一、二の合計金四八〇万三、六二八円及びこれに対する本訴状送達の翌日である昭和五七年三月一七日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する被告の答弁)

第一  請求原因第一項の事実を認める。同第二項一(一)のうち、原告会社が被告高山南支部の外務員横谷富貴子からの被告会社の募集している企業年金保険に加入するよう勧誘を受け、かつ右企業年金保険は従業員の退職金を支払う制度であると説明を受けたことを認め、その余を否認する。同項一(二)のうち、原告会社と被告会社との間で本件保険契約が成立したこと、当時原告会社が訴外共済契約に加入していたことを認め、その余は不知。同項一(三)のうち、原告会社が被告会社に対し昭和五四年一月分から昭和五五年一月分まで保険料を支払った事実、及び原告会社従業員中二名が定年に達しないにもかかわらず中途で退職したという理由で原告会社が被告会社に対し退職金の支払を請求したところ、被告会社は本件保険契約では定年に達しない中途退職者の場合退職金は支給されないと説明して支払を拒否した事実を認め、その余は不知。同項二(一)ないし(三)を争う。同第三項一、二及び同第四項を争う。

第二  一 (一) 企業年金は、企業が退職した従業員に一定期間または死亡するまで年金を支給し、従業員の退職後の生活を保障する私的年金制度の一種である。これは、社外の生命保険会社または信託会社に積立金の運用管理を委託する場合と社内にこれを留保する場合とがある。前者の場合に、税制適格要件を満たせば、企業の負担する掛金は経理上損金処理され、かかる年金を適格退職年金という。

適格企業年金と非適格企業年金の違いは法人税法施行令第一五九条の適格要件を具備しているか否かの点にある。

そして適格企業年金契約は、会社(事業主)が従業員の退職金準備のために退職年金制度を設け、それにもとづき生命保険会社(もしくは信託銀行)と締結する契約のことで、一般の保険と異なる点は税法上の特典を受けるため必ず国税庁に提出し承認を受ける必要があることである。すなわち、適格企業年金契約は、従業員、企業、保険会社、国税庁のそれぞれの間の取り決めを満たすことによって成り立つ契約である。

(1) 退職年金規程の作成と労働基準監督署への届出(従業員と企業との関係)

保険会社と企業年金保険の契約をする場合、企業は退職年金制度を設ける必要があり、まず、従業員の同意を得て退職年金規程を定める。この退職年金規程は、就業規則の一部を成すものであり、労働基準監督署への届出が必要となる(労働基準法第八九条)。

なお、本件企業年金保険契約に際しての退職年金規程の作成については、被告会社所定の退職年金規程を使用し原告会社および従業員の捺印をもらった後、原告会社が右変更届を労働基準監督署へ届けている。

一般に、日本生命が企業年金保険契約を締結するにあたってなされる就業規則の中の退職年金規程の作成および同規程の労働基準監督署への届出は、全契約の九〇パーセント以上を被告会社所定の退職年金規程を使用しており、その理由は右作成および届出の各手続きを円滑に進めるためである。しかし変更された退職年金規程の内容は、企業年金保険を勧誘する過程で「企業年金見積書」等を提示して充分に説明しており、就業規則変更届に捺印してもらうときにその内容を確認してもらうと共に、更に企業年金保険協定書において最終的にその内容を確認してもらっているのである。

(2) 契約の締結、協定書の取りかわし(企業と生命保険会社との関係)

企業と生命保険会社は、退職年金規程にもとづいて適格企業年金契約を締結するが、契約の内容は企業年金保険契約協定書によって取り決められる。

(3) 国税庁への申請(生命保険会社と国税庁の関係)

企業年金の内容は、生命保険会社から国税庁へ申請され審査を受ける。審査の結果、法人税法施行令第一五九条所定の適格要件をすべて満たしているものについてのみ、適格退職年金として認められている(適格要件を満たしていない場合は非適格退職年金とされ、税法上の特典は受けられない)。

(4) 保険料(掛金)の払込み(企業と生命保険会社との関係)

退職金を積立るための保険料は、適格企業年金契約が継続する限り、企業から保険会社に平準的に払込まれる。

(5) 給付金(年金、一時金)の支払(生命保険会社と従業員との関係)

従業員が退職して受給権を取得した場合、給付金の支払は保険会社から受取人たる従業員に直接支払われる。企業経由での支払は、適格要件違反となるので(法人税法施行令第一五九条第一項第八号)、いかなる理由があってもできない。

(二)(1) 企業年金保険は、加入時にあらかじめ年金額を定め、それに必要な原資を平準保険料で積立て、年金開始日(定年)に生存する被保険者に対して年金受給権を取得させるといういわゆる生存保険契約の一種であり、将来の年金給付に必要な財源(年金原資)を事前に積立て、年金受給権を取得した被保険者(従業員)が発生した場合、その被保険者に必要な年金原資をこの事前に積立てられた準備金から分離して年金給付の確保を図る制度である。

(2) ところで、企業年金保険における年金原資の事前積立方式には数種類あり、本件企業年金保険において採用された年金原資(将来給付費用)の積立方式は、「到達年齢方式」といわれるものである。この方式は、各従業員の毎月の積立額が、予定勤続年数を基礎に決定される将来給付額を契約加入時年齢から起算して、定年退職時に積立が完了するように算出されるので、各従業員により積立られるべき金額には当然に差異があり、契約加入時の被保険者の年齢が高くなるに従って、急激に保険料が多くなる結果となる。

(3) 企業年金保険も一般の個別保険と同じく給付(支出)と保険料(収入)とが等しくなるよう「収支相当の原則」にもとづき平準的な保険料による事前積立方式を採用している。保険料は年金開始日(定年)における生存被保険者(従業員)に対する総給付現価イコール総収入現価となるように計算され、その際、予定利率、死亡率、脱退率が考慮されている。従って、企業年金保険契約においては、年金開始日(定年)前に被保険者が死亡したり、中途退職した場合には年金給付を予定していないのである。

(4) 次に責任準備金であるが、その計算および積立てについて団体的色彩を取り入れて「預託管理方式」を採用し、団体全体について保険料、責任準備金の過不足評価を行うことになっている。

すなわち、企業年金保険では、責任準備金を各被保険者に帰属させず帰属未確定として運用され、その団体から年金受給権を取得した被保険者が発生した場合には、その被保険者に対し給付されるべき所定内容の年金原資を責任準備金から取出して、その者の責任準備金として積立てる。換言すれば、団体の責任準備金は、年金受給権を取得していない被保険者については帰属未確定であるが被保険者が年金受給権を取得することによりはじめて各被保険者に帰属することになるということである。したがって企業年金保険では、責任準備金が常にその団体において必要とされる定年退職者の年金原資より多くなるよう運用されなければならない。なぜなら責任準備金が定年退職者のための年金原資より少なくては、その者のための年金原資ができなくなり、所定の年金給付が不可能となるからである。したがって、悪条件が重って責任準備金が年金受給権を取得した定年退職者のための年金原資より少なくなることもあり、この場合にはその不足分に相当する保険料を払込んでもらうことにより定年退職者のための年金原資を確保することになる(普通保険約款第八条第三項ないし第五項)。

(5) 以上によって明らかなとおり、企業年金保険契約では被保険者が年期開始日前に死亡しまたは被保険団体から中途脱退した場合には、被保険者に対する払戻金はなく(普通保険約款第二四条)、従って、中途脱退者に対しても年金を給付するためには、主契約とは別に、企業年金保険中途脱退年金特約を付する必要がある。

二 (1) 被告高山南支部の外務員横谷富貴子は、昭和五三年の四月初めころ原告会社の代表取締役井ノ下英雄の所へ役員保険の勧誘に行き、また被告高山南支部の支部長佐治史幸も同月終りころから横谷を応援して同人に同行したが、右井ノ下英雄は役員保険の加入には消極的で契約締結の見込は少なかった。

そこで横谷富貴子と佐治史幸は、同年五月終りころ、右井ノ下英雄および原告会社総務課長中田真一に対し企業年金保険の勧誘をした。

ところが、当初原告会社側は企業年金保険に対してあまり乗り気ではなく、なかなか話が進展しなかったので、何回か勧誘に行った後の同年六月初めころ、右中田真一にニッセイ企業年金と称するパンフレットを手渡すと共に右パンフレット末尾に綴じ込んでいる「保険料試算名簿(企業年金)」の用紙を切り離して原告会社の従業員名簿の作成を依頼した。その後しばらくして、同人から従業員の氏名、生年月日および入社年月日を記載した保険料試算名簿を受け取り、約一週間ほどで被告会社岐阜支社にて退職年金および退職一時金の各支給額の別表が添付された見積書(従業員退職金制度ニッセイ企業年金見積書用紙)を作成し、更に勧誘に行ったのである。

その間、横谷富貴子は、「企業年金保険は、従業員の退職金積立制度であり掛金は全額損金処理される。中途退職者が出た場合、中途脱退特約をつけておれば直接従業員に支払われるが、特約をつけなければ契約応答月に清算されて積立金に配当が付いて会社へ返還されるので、会社の方で従業員に退職金を支払うかどうかを決めることができる。」という説明をしたが、企業に対してどの程度の配当金が支払われるかは説明しておらず、また配当金の額については原告会社の方からも別段説明を求められなかったし、その後も説明を求められたことはなかった。

また佐治史幸も同様の説明をすると同時に、特に中途脱退特約については、「私も以前ホテル業に勤めていたが、勤続年数の短い人が多くその中には企業に後足で砂をかけるような辞め方をする者も多く特約をつけると泥棒に追い銭のようになる。」と説明し、原告会社側からは中途脱退特約を付けないとの意向が示されたのである。したがって、右見積書作成にあたっては、中途脱退特約を付さないものとして見積られている。なお、被告会社では企業年金保険は普通の個人保険と比較してその内容が複雑なので企業年金保険の勧誘は支部長と外務員が同行して行うことになっており、本件においても勧誘の対象が企業年金保険となった同年五月終りころから契約の締結、更に締結後の諸手続のすべてにわたり、佐治史幸が横谷富貴子に同行し、企業年金保険の内容については主として佐治史幸が説明し、保険料の金額、退職年金等の支給額をどれ位にするかについても同人が質問を行っており、横谷富貴子が単独で原告会社へ企業年金保険の勧誘に行ったことはない。

(2) 横谷富貴子と佐治史幸は、更に同年七月ころ、被告会社岐阜支社の企業年金保険担当者で見積書の作成にあたった被告会社職員北澤吉則に同行してもらい、見積書により原告会社の井ノ下英雄および中田真一に企業年金保険の勧誘に行った。その時は右北澤吉則が主として説明にあたったが、ここでも自己都合で会社を辞める従業員の処遇が話題となり、原告会社側から中途退職者の処遇に関して企業に損害をかけて辞める従業員に対し退職一時金が支給されるのは耐えられないとの意向が示され、同時に、原告会社がその当時、従業員の退職金制度のため中小企業退職金事業団の退職金共済に加入しているとの説明を受け、右退職金共済と企業年金保険との比較が話題となった。

そこで北澤吉則は、第一に退職金共済は、加入時から退職時まで掛金を積立てていくが、加入前の勤続年数は勘案されないため、入社時から定年退職時までを考慮しなければならない退職金制度にはなじみにくい、これに対し、企業年金保険は、契約前の勤続年数も勘案して入社時から定年退職時までの勤続年数に対応した退職金を契約時から定年退職時までに積立てていくものであるから保険料は高くなるが退職金制度に合致した計画を立てやすいこと、第二に退職金共済の場合、中途退職者が出たとき退職金は従業員に直接支給される。これに対し、企業年金保険の場合、定年退職を基本にしているから中途退職者が出たとき、毎年契約応答日になされる財政決算で積立保険料から必要積立額を差引いた金額が企業に戻されるので、懲戒事由のある中途退職者には退職金を支給するかどうか企業が自由に判断し調整できる、しかし、中途脱退特約をつけた場合には、退職金共済と同じように退職金が直接中途退職者本人に支給されることになると説明した。その結果、原告会社側では見積書を検討してみるということで企業年金保険に積極的に関心を持つようになったのである。

なお、北澤吉則は、同年一一月ころにも横谷富貴子と佐治史幸に同行して原告会社に昭和五四年一月一日付で試算をやり直した企業年金見積書を持参して説明に行っている。

このように、佐治史幸らが原告会社への説明のためわざわざ北澤吉則を同行したのは、企業年金保険の内容が複雑なため、企業側との事前の協議を充分にし、企業の要望に沿う企業年金保険契約に加入してもらうためである。

(3) かくして、佐治史幸らは、一ヶ月二回位の割合で原告会社を訪問して企業年金保険の勧誘を継続し、昭和五三年一一月の終りか一二月の初めころ原告会社から企業年金保険に加入するとの承諾を得たので、まず、原告会社において同年一二月二二日就業規則を変更して定年退職者に対する退職一時金および退職年金について定めた退職年金規程を新設し、従業員代表堀泰則の同意を得たうえ、原告会社から企業年金保険契約申込書等必要書類および第一回の保険料金二三二、五四〇円を受領し、就業規則変更届を、翌二三日に原告会社の使者として佐治史幸が労働基準監督署へ提出した。

(4) 北澤吉則、佐治史幸および横谷富貴子の三人は、昭和五四年一月三〇日原告会社を訪問し中田に対し初回事務懇談を行い、そのころ保険証券、定款、約款、被保険者名簿、企業年金保険契約のしおり、企業年金保険契約協定書その他の書類を手渡したのである。

よって、本件保険契約は、何らの齟齬なく成立した。

第三  一 原告会社は、横谷富貴子が企業年金保険の勧誘を行った際企業年金保険においては勤続三年以上の者が定年に達しないで中途退職する場合でも規定の退職金が支払われると不実の説明をしたため、原告会社が錯誤により本件保険契約を締結したものであり無効であると主張するが、前述のとおり同人が不実の説明をしたとの事実は存しないのであり原各会社が錯誤に陥った事実はない。

二 原告会社が自社従業員に支払うべき退職金の金額は、原告会社就業規則に定める退職金規程、退職年金規程の定めるところにより決定されるのであり、右年金規程は原告会社従業員代表が同意して労働基準監督署に届出ているのである。原告会社は、就業規則変更届を労働基準監督署に届出るに際して、従業員代表にその内容を説明して署名捺印させ、更に原告会社は退職年金規程の写を従業員に配布して退職金の説明をしており、右退職年金規程には中途退職者に対して退職一時金を給付するとの規程はなく、原告会社に中途退職者に対して退職一時金を支払う義務はない。

仮に中途退職者にいくらかの退職金を支払ったとしても、このことは被告会社との企業年金保険契約とは全く関係のないことである。したがって原告会社の中途退職者による退職一時金の支払と被告会社の行為との間には何らの因果関係も存在しない。したがって被告会社に損害賠償義務は存しないこと明らかである。

(被告の抗弁)

第一  被告会社は原告会社代表取締役井ノ下および同社総務課長中田に対して、見積書・パンフレット等必要書類を交付して企業年金保険について詳細にわたる説明を行い、且つ、就業規則変更届、退職年金規程や企業年金保険契約協定書も交付している。しかも企業年金保険契約はいわゆる普通保険約款による附合契約である点を考慮すれば、仮に原告会社側に中途退職者の取扱いについて錯誤があったとしても、右書類を通読し、被告会社側の説明に注意をしていれば、容易に中途退職者の取扱について知りえたはずであり、原告会社に重大な過失が存したといわざるをえない。

よって民法第九五条但書により、原告会社は錯誤による本件保険契約の無効を主張しえない。

第二  一 原告会社は、昭和五四年一月一日被告会社との間で本件保険契約を締結した後、同年八月九日被保険者蒲修の定年退職を理由として金五六万円の給付請求手続を行っている。

従って、仮に原告の主張するように本件保険契約が錯誤により無効であるとしても、右事実の存在は原告会社が本件保険契約を遡及的に追認したと解すべきである。

二 そうでないとしても、原告会社は右同額の利益(同人に対する退職金五六万円の支払を免れた)のであり、被告会社に対し、同額の不当利得返還義務を有することとなり、被告会社は、原告会社の不当利得請求権と対当額で相殺する。

(抗弁に対する原告の答弁)

全て否認する。

(丙)証拠《省略》

理由

第一  請求原因第一項の事実は当事者間に争がない。

第二  原告会社と被告会社との間で本件保険契約が締結されたことは当事者間に争がない。

ところで、原告会社は右保険契約には要素の錯誤があるから無効であると主張するので判断する。

一  まず、本件保険契約は適格退職年金制度の一でありこの制度の仕組みは請求原因に対する被告の答弁第二項一(一)及び(二)のとおりであるが、本件保険契約については原告会社の就業規則の一部をなす退職年金規程の労働基準監督署への労働基準法第八九条所定の届出、並びに法人税法施行令第一五九条所定の国税庁の審査を経ていることは《証拠省略》により認められるところ、その他右適格退職年金制度では従業員が退職して受給権を取得した場合、給付金の支払は保険会社から受取人である退職従業員に直接支払われ、企業経由での支払は法人税法施行令第一五九条第一項第八号に違反し、できないところであることに注目しなければならない。

又、成立に争のない乙第二号証(定款・企業年金保険普通保険約款)によると、中途脱退者に対しても保険金を給付するためには、本件保険契約を主たる契約とする他、尚従たる契約として企業年金保険中途脱退年金特約を締結する必要があることが認められ、これを付した場合にも保険金の給付は保険会社から受取人である退職従業員に直接支払わなければならないとする右の制約があることにも注目する必要がある。

問題は右の制約が顧客であり、又本件保険契約の一方の当事者である原告会社側にどのように説明されたかである。

二  《証拠省略》を綜合すると、

(一)  被告高山南支部の外務員横谷富貴子と同支部長佐治史幸は昭和五三年五月ごろより原告会社総務課長中田真一に対し、被告会社が募集している企業年金保険の勧誘をしていたが、当初原告会社としては右企業年金保険の加入につき乗り気でなかったところ、同年六月初めごろ右佐治史幸は中田真一に「ニッセイ企業年金」と称するパンフレットを手渡すと共に右パンフレット末尾に綴じ込んである保険料試算名簿(企業年金)の用紙を切り離し、原告会社の従業員名簿の作成を依頼したこと、その後暫らくして同人から従業員の氏名、生年月日、入社年月日を記入した右名簿を受け取った被告会社は岐阜支社において退職年金及び退職一時金の各支給額の別表を添付した見積書を作成し、更に勧誘を行っていたこと、尚この試算表には中途脱退特約を付けない場合の試算をしていること、

(二)  当時原告会社はそのホテル業にあって従業員の定着期間が四ないし五年という短いものであり、又、従業員の平均年令が若いところからその中途退職者の取扱いの問題に関心があったこと、及び当時中小企業退職金事業団の訴外共済契約に加入していたこと、

(三)  右横谷富貴子は勧誘を行う間、右企業年金保険は従業員の退職金積立制度であること、保険料は税制上全額損金処理がなされること、中途退職の場合右共済契約では積立てた金員は直接従業員のもとへ支給されるが、右企業年金保険では中途脱退特約を付けておれば保険金は直接中途退職従業員に支払われるが、右特約を付けなければ契約応答月に精算されて積立金に配当がついて原告会社の方へ支払われること、中途退職の場合には円満退職する者と会社にいろいろな事情のある人がいるので、特約を付けなければ一応会社側へ精算されるので、会社の方で調節できる旨説明し、

佐治史幸も右試算表を作成して手渡した段階で原告会社代表者の井ノ下英雄と中田真一に対し、ホテル業は矢張り勤務年数の短い人が多く、辞めて行く理由の中で企業に後足で砂をかけるような辞め方が多く、特約を付けると泥棒に追い銭みたいなところがあると説明し、右共済契約制度は掛金も可成り安いが低い支給率で中途脱退の場合は直接従業員の方へ支給されるに反し、企業年金保険は損金メリットの面からも有利であるし、中途脱退特約を付けると好むと好まざるとにかかわらず直接従業員の方へ渡るが、右特約を付けないと精算に余りを生じた場合、企業の方へ配当金として支払われるので企業で従業員の会社への貢献度を計り御手盛りをすることができる旨説明していること、

尚、原告会社の方では右精算金についての具体的な数字の説明を求める等の質問はなく、次第に右特約を付けないで右企業年金保険に加入しようとの意向に傾いて行ったこと、

(四)  更に昭和五三年七月ごろ横谷富貴子と佐治史幸は被告会社岐阜支社の企業年金保険担当者で見積書の試算に当った北澤吉則を同行し、同訴外人は原告会社に対し、訴外共済契約では加入以前は何年勤務しても全く考慮されず加入した時点から保険料を積立てるが、これは入社から定年退職までを考える退職年金としてはなじまないが、企業年金保険は契約前の勤務年数をも通算して定年退職までの期間の保険料を決めて積立てるから、入社から定年退職までの全勤務年数に応じた退職年金が支払われ、従って保険料は高くなるが退職金制度に合致した計画が立てやすいこと、中途退職の場合右共済契約では必らず従業員本人に退職金が支払われるが、企業年金保険の場合は定年退職を基本にしているから中途退職者には財政決算時必要積立額を差引いた額が企業の方へ返されるので、例えば懲戒事由のあるような退職者には退職金を払うかどうか企業の方で調整できると説明し、

かくて、原告会社は見積書について検討するということになり、右企業年金保険に積極的な関心を持つに至ったこと、

(五)  昭和五三年一一月ごろ原告会社から被告会社に対し企業年金保険に加入するとの承諾があり、まず原告会社において同年一二月二二日就業規則を変更して定年退職者に対する退職一時金及び退職年金について定めた退職年金規程を新設し、従業員代表堀泰則の同意を得、被告会社は昭和五四年一月一日付で企業年金見積書の試算をやり直し、原告会社から企業年金保険契約申込書等必要書類及び第一回の保険料金二三万二、五四〇円を受領し、就業規則変更届を翌二三日に原告会社の使者として佐治史幸が労働基準監督署へ提出し、かくして昭和五四年一月一日付で本件企業年金保険契約が締結されるに至ったこと、

(六)  原告会社は当時加入していた中小企業退職年金事業団の訴外共済契約をそのころ解約したこと、

(七)  又、原告会社は同年一月一五日ごろ従業員を集めて右企業年金保険契約についての説明を行っていること、

(八)  尚、その後同年一月三〇日北澤吉則、佐治史幸、横谷富貴子は原告会社を訪れ初回事務懇談を行い、そのころ保険証券、定款、約款、被保険者名簿、企業年金保険契約のしおり、企業年金保険契約協定書等が原告会社へ手渡されたこと、

以上の各事実が認められる。

ところで、「ニッセイ企業年金」(前掲乙第五号証)は企業年金保険の概略を説明したパンフレットでその性質上契約交渉の段階で顧客に渡されておくべき性質のもので契約成立後に手渡されるべき他の書類(前掲乙第一ないし第三号証等)と異なるものであると考えられるが、右「ニッセイ企業」については予め受け取ったことはない旨証人中田真一は供述し、原告代表者井ノ下英雄もこれに副う供述をしているが、これは《証拠省略》に照らしてにわかに措信できず、パンフレットを社長の机の上に置いておいた旨右証人中田真一自身も供述しているところである。

三(一)  前掲乙第一、第二号証によれば、企業年金保険制度においては保険料積立の状況を把握する為年一回の契約応当日に年金財政決算を行い、この際積立金の実際利廻りが予定利廻りを上まわった場合などして将来給付を行うために現時点での予定必要積立金を実際の保険料積立金が上廻った場合、その超過額を社員配当金(責任準備金)として契約者である企業に支払うこととしていることが認められるところであるから、右の配当金は右実際保険料積立金が必要積立金を下廻った場合には支給されないものであり、被保険者の退職の都度計算したり、被保険者個人毎に割当計算をすることはできないものである。従って又、これは中途退職者が出た場合に恒常的に支払われるものではないのである。

且つ又、これは被告の答弁第二項一(二)と同様の保険数理に基いて計算される企業年金保険中途脱退年金特約とも性質が異るものである。一方は精算金であり、その額も一定せず不足ある場合には支払われないが、他方は契約に基く給付金でありその額も約定に基き一定する。保険会社が損失を蒙ると否とにかかわらず契約に基く給付ならば支払うべき義務のあるものである。従って又、それは一方は契約者である企業に支払われるものであるが、他方は法人税法施行令第一五九条一項第八号の制約のため退職従業員に直接支払われるものである。

ところで、右乙第一、第二号証は本件保険契約成立後に原告会社に手渡されていることは前記二(六)認定のとおりであって、右の事柄が事前に説明されているかどうかは被告会社の職員である横谷富貴子、佐治史幸、北澤吉則の説明の他、前掲「ニッセイ企業年金」(乙第五号証)なるパンフレットに頼る他はないことになる。

そこで、前掲乙第五号証中質問コーナーを検討するに、中途退職したときその人の積立金はどうなるかという質問事項に対し、中途退職者の積立金は配当として毎年の契約応当日に企業に返す方法と、中途脱退特約を付加した場合には予め定められた中途脱退給付金を退社と同時に直接従業員本人に支払う方法とを記載し、右企業に返す方法には団体全体としての積立金が不足する場合はこの限りではないと但書がしていることが認められるのである。これは右乙第一、第二号証と比較して簡略である。しかも、その質問コーナーに一括して右二つの方法を記載しているのではさきに看た配当金と特約給付金の性質の異同は素人的には明確に区別されない。保険会社は実際の保険料積立金が必要限度の予定積立金を上廻った場合に企業に配当を行うが、企業はこれを随意退職者の退職金に充てることもできる、これは企業の自由である、但し、不足があった場合は右配当は行わない旨の記載方法であればまだしも、右のような一括してしかも簡略な記載では顧客に対し誤認を生ぜしめる因になるといわなければならない。

被告会社側の口頭での説明も横谷富貴子、佐治史幸の説明は右二(三)認定のとおりであり、北澤吉則の説明は右二(四)認定のとおりであり、同訴外人の説明は比較的詳細であるが、右各口頭説明の方法は特約を付すると否とは金員が直接中途退職者に支払われるか企業の方へ支払われるかの違いに力点を置いた説明の仕方であって、保険金と配当との用語の違いを用いてはいるが、いずれも同一性質の支払が為されるような巧みな話法であるところ、このような説明では右保険金と配当の性質上の差異が明確にされてない。企業に支払われる配当は一旦は企業に直接帰属する利益であって、これを企業が中途退職者に退職金として支払うかどうかは、企業が右企業年金保険と関係がなく挙げた利益を以て退職金を支払う場合と全く同じ事であり、右特約に基いて支給される保険金とは全く性質の異なるものである。これを要するに、右各口頭説明は保険会社から配当が出る場合があるが、企業に中途退職者があった場合、企業がこれに退職金を支払うかどうかにつき右配当を以ってこれに充てることは任意になさいという趣旨であって、直接本件年金保険制度と係り合いのないという事なのである。

しかも、右口頭説明の中で、特約を付けると泥棒に追い銭であるとか、特約を付けない方が懲戒事由のある退職者に対しては企業で調整できるとかの説明があるが、これは右特約を付した場合でも懲戒事由に当る退職者については退職金を支払わないで済む旨の協議事項を原告会社と被告会社との間で定め得ることは前掲第二号証中の企業年金保険中途脱退年金特約第六条及び企業年金保険約款第五条第一項(18)第一九条第一項(2)によって明らかであり、これについては本件保険契約締結前に原告会社側に交付されている「ニッセイ企業年金」(前掲乙第五号証)中の質問コーナーで懲戒解雇者には退職金を支給しないようにすることができる旨の簡単な説明がなされているのである。このように、右特約に依る方法でも顧客である企業側に調整ができる上、この方が特約を付さない方法よりも確実であるといわなければならない。

以上のとおり、前掲乙第五号証及び右口頭説明では、支払先の差異のみが強調されており、保険金と配当との区別が明確にされず、配当が行われない場合があることの説明がなく、又企業年金中途脱退年金特約を付した場合での調整についての説明がなされておらないことになる。

他方、原告会社としては前記二(二)の事情にあって中途退職者の取扱いが関心の中心であり、原告会社が本件保険契約を締結するに至った動機も右の問題が主としてあったものであるから、右保険契約は原告会社において特約を付けないでも退職金は中途退職者についても給付されると考えてこれをなしたという意味でその意思表示の重要な部分に錯誤があるといわざるを得ない。

(二)  ところで、右錯誤につき被告は原告会社に重大な過失があったと主張する。

本件保険契約締結前に「ニッセイ企業年金」なるパンフレットが被告会社より原告会社に交付されていることは前記二(一)認定のとおりであり、従ってこれに関する《証拠省略》はにわかに措信できないところであり、右パンフレット中の質問コーナーにおいて中途退職者の場合、積立金が不足する場合には配当が行われない旨の但書で配当を企業に返す方法と、直接従業員に支払われる方法、並びに懲戒解雇者の処置の場合が夫々記載されていることも前述のとおりである。そして、原告会社代表者の井ノ下英雄もその総務課長の中田真一も右パンフレットの内容を検討しないでおいたことは《証拠省略》によって認められるのであり、又、原告会社としては被告会社に対し、右パンフレットの内容の配当金の性質とか、懲戒解雇従業員の取扱いについて企業年金保険制度の具体的な内容につき説明を求めている形跡はないのであるから、本件保険契約締結上の錯誤について原告会社に過失があったことは否めない。

然し、右パンフレットの記載内容が前掲「企業年金保険契約のしおり」(乙第一号証)に比して簡略なものであり、その記載方法も保険金ないし配当等金員の支払につき顧客をして混同誤認させる要素を含み、又被告会社側の説得は右(一)で看たとおりであり、被告会社にとって勧誘につき不利と思われるような事柄、つまり配当が行われない場合があるとか、企業年金中途脱退年金特約を付した場合での調整だとかの説明は行われないまま、金員が支払われる方法につき企業に支払われるか、直接中途退職従業員に支払われるかの差異に力点を置いて説明をしている以上、原告会社が右特約を付けないでも退職金は中途退職者についても給付されると誤認することはあり得るのであって、右原告会社の過失は配当金が出ない場合があり、従って中途退職者に支給されない場合があることを容易に認識し得たものということはできず、その過失は重大であるとまではいい得ない。

被告は、右「ニッセイ企業年金」なるパンフレット及び口頭説明の他に、就業規則変更届、退職年金規程、企業年金保険契約協定書を原告会社に交付していると主張するが、これらは前記二(五)(八)認定のとおり本件保険契約成立後、若しくはその直前に原告会社に交付されたものであり、勧誘即ち契約交渉の段階で交付されたものではないから、これら書類を以て右原告会社側の契約締結に至る重過失を認定する資料とはなし得ない。

尚、企業年金保険契約がいわゆる普通保険約款による附合契約であることを以てしても、これは通常の契約履行の際の取扱いについては画一的に右約款によるという性質のものであり、契約不成立だとか、無効だとかいった民法上の法理の適用を除外するものといえない。

よって、民法第九五条但書により原告会社は錯誤による本件保険契約の無効を主張しえないとする被告の主張は理由がない。

四  つぎに、被告は原告会社が本件保険契約を追認したと主張する。

《証拠省略》によれば、本件保険契約締結後の昭和五四年八月九日原告会社従業員であり同契約の被保険者である蒲修の定年退職を理由として、原告会社はその給付金請求手続を行い、同年同月二一日退職一時金五六万円の給付が右契約に基き同訴外人に直接支給されていることが認められるところであるが、追認というのはその前提となる事実を知った上でこれを認めるということであり、本件でいえば企業年金中途脱退年金特約を付けないでは中途脱退者には給付金は支給されないという事実を知った上で追認があるかどうかが問題であり、右蒲修の場合は定年退職の場合であるから右認識の前提を欠くのみならず、同訴外人の定年退職時以前に原告会社の中途退職者につき同会社が本件保険契約に基く給付金請求手続を行った事柄はこれを認めることができない。

よって、右蒲修の事由を以て原告会社が本件保険契約を遡及的に追認したという被告の主張は理由がない。

五(一)  よって、本件保険契約は原告会社に存した要素の錯誤により無効というべく、被告会社は原告会社に対し同会社が支払った保険料を不当利得として返還すべき義務があるところ、昭和五四年一月分から昭和五五年一月分まで同会社が右契約に基く保険料を被告会社に支払っていることは当事者間に争がなく、右合計保険料は金二八二万〇、八七五円であることが《証拠省略》によって認められ、これ以上を認めるに足りる証拠はない。

(二)  ところで、被告は蒲修に対して支払った退職一時金五六万円を以て、右原告会社の不当利得返還請求権と対当額で相殺すると主張する。

右訴外人の退職一時金が右額のとおり支払われていることは前記四認定のとおりであり、後記第三項二(二)の退職金の性質を考えると、右により原告会社は右訴外人に対し同額の退職金の支払を免れたものであるから、被告の右主張は理由がある。

六  以上のとおりであるから、結局被告会社は原告会社に対し、差引不当利得金二二六万〇、八七五円を支払うべき義務があることになる。

第三  一 前記第二項二(一)ないし(八)、三(一)で看たとおり、被告会社側の本件保険契約締結に至るまでの説明は不実とまでは行かないとしても、顧客である原告会社に対して混同誤認を生じさせる要素を含み、不充分であるといわざるを得ないので、これは右契約勧誘の衝に当った前記横谷富貴子、佐治史幸、北澤吉則の過失に基くものということができ、従って被告会社は原告会社に対し、保険募集の取締に関する法律第一一条第一項、民法第七一五条第一項本文に基き、これにより原告会社が受けた損害を賠償する責任がある。

然し、前記第二項三(二)で看たとおり、原告会社としても本件保険契約を締結するについて過失があったことは明らかであるから、右損害額を検討するにつき、その五割を斟酌するのが相当である。

二(一) ところで、前記第二項(五)ないし(七)のとおり、原告会社としては従業員代表者堀泰則の同意を得たうえ退職年金規程を定め、その後従業員各位に対して本件保険契約加入の事実を説明し、又当時加入していた訴外共済契約を解約しており、更に前記蒲修の給付手続の後原告会社においては昭和四九年四月三〇日入社した山本巳岐夫が昭和五五年一月二〇日中途退職して金四五万円を、昭和四八年一一月一日入社した渡辺忠栄が昭和五五年一月二〇日中途退職して金五六万円を、昭和五二年四月二日入社した田口ソヨが昭和五五年四月二〇日中途退職して金二五万円を、昭和五二年五月一日入社した牛丸勇美が昭和五五年一〇月三一日中途退職して金二五万円を、昭和五〇年六月二一日入社した川尻利子が昭和五六年三月二〇日中途退職して金四五万円を夫々右退職年金規程に基き原告会社から受領していること、以上の事実は《証拠省略》によってこれを認めることはできる。

(二) 企業年金保険制度は企業が退職した従業員に一定期間または死亡するまで年金を支給し、従業員の退職後の生活を保障する私的年金制度であって、これを企業内に留保する代りに企業外の生命保険会社にその為の積立金の運用管理を委託する制度である。そして、従業員が退職して受給権を取得した場合に給付金の支払は保険会社から受取人である従業員に直接支払われるが(法人税法施行令第一五九条第一項第八号)、これは企業を経由して支払われるものとすると企業側の都合によって退職従業員に支払われない場合が生じることを防止し、確実に退職従業員の手に給付がなされることを確保する政策的趣旨と解されるが、これは本来積立金の運用を委託された保険会社が企業、即ち保険契約者に代替して退職従業員に支給するものといえる。けだし、もともと退職金の支払は就業規則等に基き企業が退職従業員に対して支払うべき性質のものであって右のような企業年金保険契約が締結されていると否とにかかわらず就業規則等に退職金の支払に関する規程が存する以上、企業の従業員に対する直接当然の義務であるからである。

従って、被告会社が右企業年金保険について原告会社従業員の中途退職の場合を慮ぱかってこれを試算し、その見積表に基き、原告会社が被告会社と企業年金中途脱退年金特約を付して本件保険契約を締結していたとしたら、右中途脱退従業員の分としての積立金が保険料として積立てられている筈であるが、本件の場合はそうではなく中途退職者に対処する積立は現実には行われていなかったのであるから、被告会社における中途脱退者への支給は行われないことは当然の事である。繰り返し述べてきたとおり、被告会社が説明した前記第二項二(三)(四)の配当は本来は右中途脱退者が出た場合に対処するべく支払った保険料の積立金によるものではなく、他の目的の保険料を預った保険会社の積立金運用が予定利廻りを上廻った場合にその利差益を原告会社に還元するものであって、右積立金と性質を異にするものである。右被告会社側の説明は、契約当事者である原告会社が自主的に判断してその配当をこれら中途退職者の退職金に充てるか他の財源を以てこれに充てるか、右配当を右退職金以外の目的に使用するかをその裁量に委せたものというべく、いずれにしても退職金なるものは就業規則等に基き企業が退職従業員に対して直接支払うべきことが本来なのである。

然し、右被告会社側の本件保険契約締結に至るまでの説明は前記第二項三(一)(二)で述べたとおり配当が行われた場合と保険金給付の場合とは支払先が異ること丈を強調して原告会社をして右保険契約を締結させるに至ったものであるから、これが因となって同会社としては中途脱退者についても右配当を以て退職金を支弁しうると考えたことは充分理解でき、従って又、現に右配当が行われなかったことは原告会社のその旨の期待を裏切るものといってよい。

従って、被告会社は本項一で述べた被告会社側の過失行為に因り、原告会社の中途退職者に対して支払うべき退職金につき被告会社から同額の填補を受けられるとする原告会社の期待を裏切り、同会社にそれ丈の損害を与えたことになるのであるから、右(一)で原告会社が中途退職者に対して支払った退職金と同額の損害を同会社の過失を斟酌した上で支払うべきである。

三 以上のとおりであるから、結局被告会社は原告会社に対し、金九八万円の損害を賠償すべき義務があることになる。

第四  よって、原告の被告に対する本訴請求のうち、被告に対し前記第二項六及び第三項三の合計金三二四万〇、八七五円及びこれに対する本訴状送達の翌日であることが一件記録上明らかである昭和五七年三月一七日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるからこれを認容することとし、その余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法第九二条本文第八九条を適用してこれを五分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とし、右原告勝訴部分の仮執行宣言については同法第一九六条第一項を適用してこれを付する。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 宗哲朗)

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